コットン。
やっぱり。仕事なんて受けてはならん。
気分が悪い。以下はメモです。
「みんなのため」という言い逃れは聞き飽きた。
耳から蛸が逃げ出した。
2014年11月07日 金曜日 午後 12:18
朝からサイの下絵の線をどうにかこうにか探し出す。
変な日本語だ。ようするにサイを描いている途中。
人物画は目障りになるので削除する。
ここから面倒で描き込む気になれない。
手順としては。最初に。紙がまだ白くて綺麗な時に。
水彩の滲みや。その他モロモロの小細工を駆使して
動物の質感を残さないと。主題と背景を。
描き込むのは時間を食い過ぎるし。集中力が持たない。
紙は駄目だ。ボードに描かないと。仕上がりがビニール感がある。
これはアクリルの特徴でもあるが。
天気がよろしいので。行くとしよう。
また長い3日間になるのであろう。耐えられん。
2014年11月08日 土曜日 午前 03:25
うんで。サイの細部を描き込み。また最後で失敗する。
というか。動物画を描く気が無い。
この描き方は違う。筆やペンを走らせる緩急ってのがあって。
私の書道は緩だけであって。急がない。
サイを急でとらえて。緩で仕上げているけれど。
この方法では駄目だ。
もう少し。順番を考える。緩と急の割合がおかしい。
偶然と計算の違いか。かつては9割までが偶然であって。
分からん。何かの要素を見失っている。
たぶん肝心なことだ。
緩急の合間にあるモノ。偶然と計算の合間だ。
書道は計算と緩の作品だ。
そうではない。混乱している。寝る。
本日の出没の成果は言うまでもなくむかついた。
では明日。
2014年11月08日 土曜日 午後 12:47
よって。サイを仕上げる。また中途半端だ。
感想は。
「頑張ったのは分かりますが致命的にセンスがありません」
うんなとこだ。
時には。こんな作品もありでしょうに。
それにしても。外は風は強いし寒そうである。
どうしようかな。だいたい朝から3時間も絵を描いて
動けというのが無理がある。
真面目に描こうがテキトウに描こうが。
力技で描こうが・・・あんまり関係がない。
どちらかというとテキトウに描いた方が。
よろしい気がする。
よく言われると思われるが。
環境を整えると・・・・時間があると・・・
練習や勉強や訓練や追求は。別にして。
絵を描くのは関係あるのか?
アンネの日記は授業中の落書きのようなものだし。
日本の生活なんて刑務所未満だし。
2014年11月09日 日曜日 午前 02:28
アベノミクスは先週で終えたとして。
やっぱり買う客層がおかしい。分かるのだ。
うんで。駅前で素面でいる時に。
女の子から質問があって。
「どうやったら。こういう絵が描けるのか?」
この質問は定期的にあって答えに窮する。
例えば。想像力を支えるのは記憶であって。
記憶とは経験であり。経験の違いです。
と答えても。何のことかさっぱり不明であろう。
ケーキに装飾をすると考える。
上手に綺麗に盛る方法はあると思える。
絵描きの考えることは。簡単で「盛れるだけ盛れ」
たくさん盛れるだけ漏れることなく盛れたら正解。
自分が天才とは違う自覚があるなら。
経験するしかなくて。経験するためには。
盛れるだけ盛る。どうなるかは知らない。
そこから学ぶし。水の量や筆の違いや下地の違い・・・など。
同じ条件であることが珍しくて。
常に瞬時の判断の繰り返すことになる。
絵というのは。糸のほころびの地点で終える必要がある。
そうでないと客と絡まる可能性はゼロである。
完璧主義の罠であって。
客が遊べる時間。想像を膨らませる要素の地点で終わらせる。
そこを埋められるのが絵描きであるけれど。
それをすると。客の自由を奪う結果になる。
パワハラである。
よく言われるけれど。絵が上手くなると駄目なのである。
描いてから潰すか。ギリギリの地点まで。力技で仕上げるか。
溢れそうな水で想像すると分かり良い。
残りの一滴は客が垂らすことで。
客の想像力が溢れることになる。
現代アートの欠点は薄め過ぎたカルピス。
2014年11月09日 日曜日 午後 14:50
外は雨で。行く気になれん。呼ばれてもいないのだから
行かなければいいだけであるが。習慣とは怖いものだ。
昨日は。手直しをした象がやっとこさ売れる。
それから。モーニング娘のコンサートの帰りの
ミサロさんとしばらく会話をする。
髪の毛を短髪にされモンチッチしていた。
夕暮れの光のためか北島三郎を思い出した。
それは失敗です。
典型的な不良であったらしいが。
今でも目元は絵になる生意気な名残がある。
この国は不良と子供だけは。まともである。
不良の日本語は理解ができる。
おわり。
気分が悪い。以下はメモです。
「みんなのため」という言い逃れは聞き飽きた。
耳から蛸が逃げ出した。
2014年11月07日 金曜日 午後 12:18
朝からサイの下絵の線をどうにかこうにか探し出す。
変な日本語だ。ようするにサイを描いている途中。
人物画は目障りになるので削除する。
ここから面倒で描き込む気になれない。
手順としては。最初に。紙がまだ白くて綺麗な時に。
水彩の滲みや。その他モロモロの小細工を駆使して
動物の質感を残さないと。主題と背景を。
描き込むのは時間を食い過ぎるし。集中力が持たない。
紙は駄目だ。ボードに描かないと。仕上がりがビニール感がある。
これはアクリルの特徴でもあるが。
天気がよろしいので。行くとしよう。
また長い3日間になるのであろう。耐えられん。
2014年11月08日 土曜日 午前 03:25
うんで。サイの細部を描き込み。また最後で失敗する。
というか。動物画を描く気が無い。
この描き方は違う。筆やペンを走らせる緩急ってのがあって。
私の書道は緩だけであって。急がない。
サイを急でとらえて。緩で仕上げているけれど。
この方法では駄目だ。
もう少し。順番を考える。緩と急の割合がおかしい。
偶然と計算の違いか。かつては9割までが偶然であって。
分からん。何かの要素を見失っている。
たぶん肝心なことだ。
緩急の合間にあるモノ。偶然と計算の合間だ。
書道は計算と緩の作品だ。
そうではない。混乱している。寝る。
本日の出没の成果は言うまでもなくむかついた。
では明日。
2014年11月08日 土曜日 午後 12:47
よって。サイを仕上げる。また中途半端だ。
感想は。
「頑張ったのは分かりますが致命的にセンスがありません」
うんなとこだ。
時には。こんな作品もありでしょうに。
それにしても。外は風は強いし寒そうである。
どうしようかな。だいたい朝から3時間も絵を描いて
動けというのが無理がある。
真面目に描こうがテキトウに描こうが。
力技で描こうが・・・あんまり関係がない。
どちらかというとテキトウに描いた方が。
よろしい気がする。
よく言われると思われるが。
環境を整えると・・・・時間があると・・・
練習や勉強や訓練や追求は。別にして。
絵を描くのは関係あるのか?
アンネの日記は授業中の落書きのようなものだし。
日本の生活なんて刑務所未満だし。
2014年11月09日 日曜日 午前 02:28
アベノミクスは先週で終えたとして。
やっぱり買う客層がおかしい。分かるのだ。
うんで。駅前で素面でいる時に。
女の子から質問があって。
「どうやったら。こういう絵が描けるのか?」
この質問は定期的にあって答えに窮する。
例えば。想像力を支えるのは記憶であって。
記憶とは経験であり。経験の違いです。
と答えても。何のことかさっぱり不明であろう。
ケーキに装飾をすると考える。
上手に綺麗に盛る方法はあると思える。
絵描きの考えることは。簡単で「盛れるだけ盛れ」
たくさん盛れるだけ漏れることなく盛れたら正解。
自分が天才とは違う自覚があるなら。
経験するしかなくて。経験するためには。
盛れるだけ盛る。どうなるかは知らない。
そこから学ぶし。水の量や筆の違いや下地の違い・・・など。
同じ条件であることが珍しくて。
常に瞬時の判断の繰り返すことになる。
絵というのは。糸のほころびの地点で終える必要がある。
そうでないと客と絡まる可能性はゼロである。
完璧主義の罠であって。
客が遊べる時間。想像を膨らませる要素の地点で終わらせる。
そこを埋められるのが絵描きであるけれど。
それをすると。客の自由を奪う結果になる。
パワハラである。
よく言われるけれど。絵が上手くなると駄目なのである。
描いてから潰すか。ギリギリの地点まで。力技で仕上げるか。
溢れそうな水で想像すると分かり良い。
残りの一滴は客が垂らすことで。
客の想像力が溢れることになる。
現代アートの欠点は薄め過ぎたカルピス。
2014年11月09日 日曜日 午後 14:50
外は雨で。行く気になれん。呼ばれてもいないのだから
行かなければいいだけであるが。習慣とは怖いものだ。
昨日は。手直しをした象がやっとこさ売れる。
それから。モーニング娘のコンサートの帰りの
ミサロさんとしばらく会話をする。
髪の毛を短髪にされモンチッチしていた。
夕暮れの光のためか北島三郎を思い出した。
それは失敗です。
典型的な不良であったらしいが。
今でも目元は絵になる生意気な名残がある。
この国は不良と子供だけは。まともである。
不良の日本語は理解ができる。
おわり。